春の風物詩の一つともいえるセンバツ高校野球。
今回はタイトルの通り、歴代入場行進曲に共通する”特徴”を10年おきに分析してみました!
本記事では、
・歴代入場行進曲の特徴を10年おきに分析。
・全ての歴代入場行進曲における、共通する特徴は?
の2つの話題について詳しく紹介していきたいと思います♪
春の甲子園・歴代入場行進曲の”特徴”は?【約10年おきに分析】
ちなみに第92回(2020年)大会の入場行進曲は、米津玄師さんのパプリカが選出されました。
しかし生憎の、大会中止・・・幻となってしまいました。
第1回大会(1924年)~第6回大会(1929年)
回 | 年度 | 曲名 | 作曲者 | 優勝校 |
1 | 1924年 | 星条旗よ永遠なれ/双頭の鷲の旗の下に ほか | J.P.スーザ/J.F.ワーグナー | 高松中(香川) |
2 | 1925年 | カレドニアン・マーチ | 不詳 | 松山商(愛媛) |
3 | 1926年 | 親しき戦友 | 不詳 | 広陵中(広島) |
4 | 1927年 | (入場行進なし) | 和歌山中(和歌山) | |
5 | 1928年 | モン・パリ/バレンシア | 不詳 | 関西学院中(兵庫) |
6 | 1929年 | 観兵式行進曲 | 不詳 | 第一神港商(兵庫) |
特徴
記念すべき第1回大会は、世界三大行進曲の一つとされる「星条旗よ永遠なれ」を含むマーチのメドレーです。
1927年、宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)によって日本で最初に上演されたレビュー「モン・パリ~吾が巴里よ!~」が、翌年の第5回大会(1928年)の入場行進曲に採用されています。
第7回大会(1930年)~第16回大会(1939年)
回 | 年度 | 曲名 | 作曲者 | 優勝校 |
7 | 1930年 | われら戦友 | 不詳 | 第一神港商(兵庫) |
8 | 1931年 | 蒼空高き甲子園(初代大会歌) | 不詳 | 広島商(広島) |
9 | 1932年 | 爆弾三勇士の歌 | 陸軍戸山学校軍楽隊 | 松山商(愛媛) |
10 | 1933年 | 青春 | 不詳 | 岐阜商(岐阜) |
11 | 1934年 | 陽は舞いおどる甲子園(二代目大会歌) | 同上 | 東邦商(愛知) |
12 | 1935年 | 陽は舞いおどる甲子園(二代目大会歌) | 同上 | 岐阜商(岐阜) |
13 | 1936年 | 陽は舞いおどる甲子園(二代目大会歌) | 同上 | 愛知商(愛知) |
14 | 1937年 | 陽は舞いおどる甲子園(二代目大会歌) | 作詞:薄田泣菫、作曲:陸軍戸山学校軍楽隊 | 浪華商(大阪) |
15 | 1938年 | 愛国行進曲 | 瀬戸口藤吉 | 中京商(愛知) |
16 | 1939年 | 大陸行進曲 | 徳山璉、久富吉晴、波岡惣一郎 | 東邦商(愛知) |
特徴
1930年代は、軍国主義の色が強い楽曲が多く採用されています。
曲調も歌詞も勇ましく感じるものが多いのも特徴です。
「蒼空高き甲子園」は初代大会歌、「陽は舞いおどる甲子園」は二代目の大会歌であり、歌詞の内容から軍国主義時代の日本が映し出されています。
【陽は舞いおどる甲子園】
1、
陽は舞いおどる 甲子園
若人よ 雄々しかれ
長棍痛打して 熱球カッととぶところ
燃えよ血潮は 火のごとく
ラ大毎 ラ大会 ラララララ
2、
戦塵あがる 春なかば
選士らよ 雄々しかれ
輝く王冠の 誉に酔うは何人ぞ
あげよ凱歌を 波のごと
ラ大毎 ラ大会 ラララララ
(制定当時。後に「大毎」が「毎日」(まいにち)と改められた)
引用:Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/陽は舞いおどる甲子園
第17回大会(1940年)~第21回大会(1949年)
回 | 年度 | 曲名 | 作曲者 | 優勝校 |
17 | 1940年 | 紀元二千六百年奉祝歌 | 森義八郎 | 岐阜商(岐阜) |
18 | 1941年 | 国民進軍歌 | 徳山璉、四家文子、柴田睦陸、中村淑子 | 東邦商(愛知) |
19 | 1947年 | 剣と槍 | ヘルマン・シュタルケ | 徳島商(徳島) |
20 | 1948年 | とんがり帽子 | 川田正子 | 京都一商(京都) |
21 | 1949年 | 異国の丘 | 竹山逸郎/吉田正 | 北野(大阪) |
特徴
1940年代は、第二次世界大戦の影響もあってか戦争を通して生まれた楽曲が使用されています。
第17回大会(1940年)の「紀元二千六百年奉祝歌」は神武天皇の即位紀元2600年を祝して創作された国民歌です。
第19回大会(1947年)の「剣と槍」は全日本吹奏楽コンクール高校の部の課題曲を入場行進曲として採用されました。
戦後、第20回大会(1948年)での「とんがり帽子」はNHKラジオで放送されたラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌でもありました。
戦後日本全体が苦しかった時代、明るく強く生きていくさまを描いたラジオドラマであり、「とんがり帽子」は広く国民に歌われたようです。
まさに、復興へのテーマソングとも言えるような存在で大会の音楽を飾ったのではないかと分析します。
第22回大会(1950年)~第31回大会(1959年)
回 | 年度 | 曲名 | 作曲者 | 優勝校 |
22 | 1950年 | ハイスクール | 不詳 | 韮山(静岡) |
23 | 1951年 | スポーツショー行進曲 | 古関祐而 | 鳴門(徳島) |
24 | 1952年 | 君が代行進曲 | 吉本光藏 | 静岡商(静岡) |
25 | 1953年 | 黄色いリボン | アメリカ民謡 | 洲本(兵庫) |
26 | 1954年 | 錨を上げて | チャールズ・ジンマーマン | 飯田長姫(長野) |
27 | 1955年 | セントルイス・ブルース・マーチ | W.C.ハンディ/グレン・ミラー楽団 | 浪華商(大阪) |
28 | 1956年 | 雷神 | J.P.スーザ | 中京商(愛知) |
29 | 1957年 | 緑のこだま | 不詳 | 早稲田実業(東京) |
30 | 1958年 | クワイ河マーチ | ケネス・ジョセフ・アルコールフォード | 済々黌(熊本) |
31 | 1959年 | 皇太子のタンゴ | リカルド・サントス楽団 | 中京商(愛知) |
特徴
50年代の入場行進曲は、海外のマーチや海外の映画音楽が多く採用されていますね。
この頃は、まだ国民に親しまれた歌謡曲は採用されておりません。
第23回大会(1951年)においては、1964年に開催された東京オリンピックの行進曲を作曲した、古関祐而さんの「スポーツショー行進曲」が採用されました。
小学校の運動会にもいまだに使用されている学校も多い名曲ですね。
「クワイ河マーチ」は映画「戦場にかける橋」のテーマ音楽でもあります。
全体的に見ると、海外のマーチや映画音楽が採用されていることから選曲もグローバルになってきたと言えるでしょう。
第32回大会(1960年)~第41回大会(1969年)
回 | 年度 | 曲名 | アーティスト | 優勝校 |
32 | 1960年 | 誕生日 | 不詳 | 高松商(香川) |
33 | 1961年 | バッファロー大隊マーチ | アート・ムーニー楽団、山下敬二郎 | 法政二(神奈川) |
34 | 1962年 | 上を向いて歩こう | 坂本九 | 作新学院(栃木) |
35 | 1963年 | いつでも夢を | 橋幸夫・吉永小百合 | 下関商(山口) |
36 | 1964年 | こんにちは赤ちゃん | 梓みちよ | 徳島海南(徳島) |
37 | 1965年 | 幸せなら手をたたこう | 坂本九 | 岡山東商(岡山) |
38 | 1966年 | ともだち | 坂本九 | 中京商(愛知) |
39 | 1967年 | 世界の国からこんにちは | 三波春夫/坂本九/吉永小百合 他 | 津久見(大分) |
40 | 1968年 | 世界は二人のために | 佐良直美 | 大宮工(埼玉) |
41 | 1969年 | 三百六十五歩のマーチ | 水前寺清子 | 三重(三重) |
特徴
60年代は、とにかく明るく前向きな楽曲が多いですね。
1962年から、広く親しまれている歌手の楽曲を使われるようになったようです。
曲のテンポも、原曲そのものが歩きやすい速さのものが多くみられます。
坂本九さんの楽曲が3回採用されていることから、広く愛された歌手だったことが伺えます。
それにしても、第32回大会(1960年)の「誕生日」という曲は謎に包まれていますね…(笑)
どんな曲なんだろうか・・・
第42回大会(1970年)~第51回大会(1979年)
回 | 年度 | 曲名 | アーティスト | 優勝校 |
42 | 1970年 | 世界の国からこんにちは | 三波春夫/坂本九/吉永小百合 他 | 簑島(和歌山) |
43 | 1971年 | 希望 | 岸洋子 | 日大三(東京) |
44 | 1972年 | また逢う日まで | 尾崎紀世彦 | 日大桜丘(東京) |
45 | 1973年 | 虹をわたって | 天地真理 | 横浜(神奈川) |
46 | 1974年 | 草原の輝き | アグネス・チャン | 報徳学園(兵庫) |
47 | 1975年 | おかあさん | 森昌子 | 高知(高知) |
48 | 1976年 | センチメンタル | 岩崎宏美 | 崇徳(広島) |
49 | 1977年 | ビューティフル・サンデー | ダニエル・ブーン/田中星児/トランザム 他 | 簑島(和歌山) |
50 | 1978年 | 愛のメモリー | 松崎しげる | 浜松商(静岡) |
51 | 1979年 | 季節の中で | 松山千春 | 簑島(和歌山) |
特徴
70年代の入場行進曲もまた、今もなお耳にする有名歌手の楽曲が目立ちます。
この頃から、歌謡曲の選曲の幅が豊かになってきているように感じます。
特に明るい曲調と認知度を重視された選曲なのではないかと思います。
第42回大会(1970年)には、大阪万国博覧会のテーマソング「世界の国からこんにちは」が通算2回目の採用になりました。
特に、作曲・筒美京平さん作詞・阿久悠さんの素晴らしいタッグで作られた名曲「また逢う日まで」と「センチメンタル」が採用されてますね♪
松山千春さんの「季節の中で」はミリオンセラーを記録する名曲であり、70年代を締めくくる素晴らしい楽曲ですね!
第52回大会(1980年)~第61回大会(1989年)
回 | 年度 | 曲名 | アーティスト | 優勝校 |
52 | 1980年 | YOUNG MAN(Y.M.C.A.) | 西城秀樹 | 高知商(高知) |
53 | 1981年 | 青い珊瑚礁 | 松田聖子 | PL学園(大阪) |
54 | 1982年 | ルビーの指環 | 寺尾聰 | PL学園(大阪) |
55 | 1983年 | 聖母たちのララバイ | 岩崎宏美 | 池田(徳島) |
56 | 1984年 | CAT'S EYE | 杏里 | 岩倉(東京) |
57 | 1985年 | 星屑のステージ | チェッカーズ | 伊野商(高知) |
58 | 1986年 | 青春 | 岩崎良美 | 池田(徳島) |
59 | 1987年 | CHA-CHA-CHA | 石井明美 | PL学園(大阪) |
60 | 1988年 | 夢冒険 | 酒井法子 | 宇和島東(愛媛) |
61 | 1989年 | パラダイス銀河 | 光GENJI | 東邦(愛知) |
特徴
80年代を代表するアーティストの楽曲が多く並び、夢や喜びを表す歌詞や明るい楽曲が多く採用されています。
気持ちの良いさわやかで軽快なメロディーは、まさに高校球児にぴったりと言えるでしょう。
中でも、石井明美さんの「CHA-CHA-CHA」は刺激的な歌詞で高校野球とは意を反しているようにも思いますが、時代を象徴する楽曲として採用されていますね!!
寺尾聰さんの「ルビーの指輪」も曲調としては渋カッコイイ感じです。日本レコード大賞をはじめとしたあらゆる賞を受賞され、1981年を象徴とする楽曲と言えるでしょう。
第62回大会(1990年)~第71回大会(1999年)
回 | 年度 | 曲名 | アーティスト | 優勝校 |
62 | 1990年 | 約束 | 相川恵理 | 近大付属(大阪) |
63 | 1991年 | おどるポンポコリン | B.B.クイーンズ | 広陵(広島) |
64 | 1992年 | どんなときも。 | 槇原敬之 | 帝京(東京) |
65 | 1993年 | 今ありて(三代目大会歌) | 谷村新司 | 上宮(大阪) |
66 | 1994年 | 負けないで | ZARD | 智辯和歌山(和歌山) |
67 | 1995年 | がんばりましょう | SMAP | 観音寺中央(香川) |
68 | 1996年 | TOMORROW | 岡本真夜 | 鹿児島実(鹿児島) |
69 | 1997年 | これが私の生きる道 | PUFFY | 天理(奈良) |
70 | 1998年 | 硝子の少年 | KinKi Kids | 横浜(神奈川) |
71 | 1999年 | 長い間 | Kiroro | 沖縄尚学(沖縄) |
特徴
90年代も選手を励ますような楽曲が多く特集されています。
男性歌手と女性歌手がバランスよく採用されてますね。
面白い点として、第63回大会(1991年)「おどるポンポコリン」が採用されていますね。この年は、イチロー元選手も出場された大会になります。
イチロー元選手が、「おどるポンポコリン」に合わせて入場行進されるなんて、なかなかレアですね☆
「ぴ~ひゃらぴ~ひゃら パッパパラパ~♪」という歌詞に高校球児たちは、心おどらされたことでしょう。
第72回大会(2000年)~第81回大会(2009年)
回 | 年度 | 曲名 | アーティスト | 優勝校 |
72 | 2000年 | First Love | 宇多田ヒカル | 東海大相模(神奈川) |
73 | 2001年 | TSUNAMI イエスタデイ/ヘイ・ジュード/オブラディ・オブラダ | サザンオールスターズ ザ・ビートルズ | 常総学院(茨城) |
74 | 2002年 | 明日があるさ | 坂本九/ウルフルズ/Re:Japan | 報徳学園(兵庫) |
75 | 2003年 | 大きな古時計 | 平井堅 | 広陵(広島) |
76 | 2004年 | 世界に一つだけの花 | SMAP/槇原敬之 | 済美(愛媛) |
77 | 2005年 | 君こそスターだ | サザンオールスターズ | 愛工大名電(愛知) |
78 | 2006年 | 青春アミーゴ | 修二と彰 | 横浜(神奈川) |
79 | 2007年 | 宙船(そらふね) | TOKIO | 常葉菊川(静岡) |
80 | 2008年 | 蕾(つぼみ) | コブクロ | 沖縄尚学(沖縄) |
81 | 2009年 | キセキ | GReeeeN | 清峰(長崎) |
特徴
2010年代の恋にまつわる楽曲に対して、2000年代は勇気や友情、青春を感じさせる楽曲が多いように思われます。
特に、男性歌手やアイドルグループの採用率が高めです♪
女性歌手は、宇多田ヒカルさんのみ…!
「First Love」は恋に関係する歌詞で野球に関係無い気もしますが、強いて言うならば「一塁(ファースト)Love」ってことなんでしょうか?(笑)
第73回大会(2001年)では、20世紀を代表するイギリスのロックバンド、ビートルズのメドレーが登場したのが特徴的です。
また、「大きな古時計」も選手を鼓舞するような歌詞とは程遠い気もしますが…採用されたのも面白いポイントですね♪
第82回大会(2010年)~第92回大会(2020年)
回 | 年度 | 曲名 | アーティスト | 優勝校 |
82 | 2010年 | My Best Of My Life | Superfly | 興南(沖縄) |
83 | 2011年 | ありがとう | いきものがかり | 東海大相模(神奈川) |
84 | 2012年 | Everyday、カチューシャ | AKB48 | 大阪桐蔭(大阪) |
85 | 2013年 | 花は咲く | 花は咲くプロジェクト | 浦和学院(埼玉) |
86 | 2014年 | 恋するフォーチュンクッキー | AKB48 | 龍谷大平安(京都) |
87 | 2015年 | Let It Go~ありのままで~ | イディナ・メンゼル/松たか子/May J. 他 | 敦賀気比(福井) |
88 | 2016年 | もしも運命の人がいるのなら | 西野カナ | 智弁学園(奈良) |
89 | 2017年 | 恋 | 星野源 | 大阪桐蔭(大阪) |
90 | 2018年 | 今ありて(三代目大会歌) | 谷村新司 | 大阪桐蔭(大阪) |
91 | 2019年 | 世界に一つだけの花/どんなときも。 | 槇原敬之 | 東邦(愛知) |
92 | 2020年 | パプリカ | 米津玄師 | 大会中止 |
特徴
「世界に一つだけの花」と「どんなときも。」はそれぞれ、76回(2004年)64回(1992年)大会でも使用されトータル2回!
そして、第90回記念大会(2018年)においても、阿久悠さん作詞 谷村新司さん作曲の「今ありて」(3代目大会歌)が、第65回大会(1993年)以来となる25年ぶり2回目の入場曲に!
なかでも、AKB48や西野カナさんをはじめとした女性歌手の楽曲が6回採用されてます…!
ジャニーズの楽曲が極端に少ないのも特徴です。
とにかく明るい曲調でキャッチ―なメロディが多い2010年代の行進曲。
歌詞に注目すると…恋 にまつわる楽曲の採用率が高めといえるのではないでしょうか♪
【結論】春の甲子園・歴代入場行進曲に共通する”特徴”は?
春の甲子園・歴代入場行進曲に共通して言えることを独自調査と分析をしたうえで、以下のようにまとめてみました!
そして、共通して言える採用されないNGな曲調についても書き記しました。
~結論~
・前年やその年のヒットした曲で、曲調が明るいもの。
・暴力的な歌詞や高校生にそぐわない歌詞でないこと。
・幅広い年代に親しまれていること。
・センバツ大会のさわやかなイメージに合う。
・ブラスバンド版に編曲しやすいこと。
NGな曲調
・若者に人気のラップ調の曲は採用されていない!
⇒なぜなら、ラップ調の曲は音の高低があまりなく行進曲には向かないのでしょう。
・テンポの速い激しいロックの曲も採用されていない!
⇒激しいロックの曲は、歩きやすいテンポで演奏することになり本来の音楽の良さが出にくいのでしょう。
【豆知識】春の甲子園・歴代入場行進曲のあれコレ。
編曲者について
第34回大会(1962年)~第58回大会(1986年)まで⇒元大阪市音楽団団長の辻井市太郎さんが担当。
第59回大会(1987年)~第80回大会(2008年)まで⇒元大阪市音楽団団長の永野慶作さんが担当
第81回大会(2009年)以降~現在まで⇒作曲家の酒井格さんが担当されています。
酒井格さんは、吹奏楽界でも有名な作曲家で「たなばた」や「森の贈り物」など広く吹奏楽愛好家に親しまれる作品を書かれています☆
演奏している団体は?
入場行進曲の演奏は、大阪・兵庫・京都・滋賀・奈良・和歌山の各府県の警察音楽隊が担当されています。
入場行進曲は、その年のCDアルバム「ポップ・ヒットマーチ」シリーズに収録されることが多くなっています。
歴代入場行進曲に関しても一部を除いてiTunes Storeで購入することができます♪
最も採用されたアーティスト(歌手)は??
坂本九さん 6回!!
・坂本九さん⇒1962年「上を向いて歩こう」1965年「幸せなら手をたたこう」1966年「ともだち」1967年・1970年「世界の国からこんにちは」2002年「明日があるさ」
SMAP・槇原敬之さん・吉永小百合さん 3回!!
・SMAP⇒1995年「がんばりましょう」2004年・2019年「世界に一つだけの花」
・槇原敬之さん⇒1992年「どんなときも。」2004年・2019年「世界に一つだけの花」
・吉永小百合さん⇒1963年「いつでも夢を」1967年・1970年「世界の国からこんにちは」
サザンオールスターズ・AKB48・岩崎宏美さん・三波春夫さん 2回!!
・サザンオールスターズ⇒2001年「TSUNAMI」2005年「君こそスターだ」
・AKB48⇒2012年「Every day、カチューシャ」2014年「恋するフォーチュンクッキー」
・岩崎宏美さん⇒1976年「センチメンタル」1983年「聖母たちのララバイ」
・三波春夫さん⇒1967年・1970年「世界の国からこんにちは」
まとめ
いかがでしたでしょうか?
センバツ高校野球の入場行進曲はまさに時代そのものを映し出すものではないかと思いました。
軍国主義の風潮から海外の行進曲や映画音楽を取り入れるようになり、1962年を境目に親しまれる歌手の楽曲を取り上げられるようになりました♪
2020年の第92回大会が中止となり残念なおもいです。
また来年以降、どんな曲が採用されるか楽しみにしていきましょう♪
では、今回は以上です!
本記事がみなさまにとって、参考になれば嬉しいです♪
最後まで、ご覧下さりありがとうございました。